野口雨情(のぐち うじょう・1882~1945(明治15年~昭和20年))は、北原白秋・西條八十とともに童謡界の三大詩人と謳われている詩人、童謡・民謡作詞家です。
数多くの名作の中から、私の聞き覚えのあるものを列挙してみると‥
「青い眼の人形」
「しゃぼん玉」
「黄金虫」
「赤い靴」
「証城寺の狸囃子」
「七つの子」
あたりでしょうか。
これらの作品の中から、
「怖い‥」 「ホント‥?」 「どういう意味?? 」等々と
巷(ちまた)で語られている <ウワサ>の童謡‥
これらの <真実>ついて掘り下げてみたいと思います。
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「とおりゃんせ」はめちゃくちゃ恐かった‥。神隠しの唄?間引き??子殺し???)
「しゃぼん玉」について
しゃぼん玉 飛んだ
屋根まで 飛んだ
屋根まで 飛んで
壊れて 消えたしゃぼん玉 消えた
飛ばずに 消えた
生まれてすぐに
壊れて 消えた風 風 吹くな
しゃぼん玉飛ばそ
問 : そもそも‥「しゃぼん」って何なんでしょうか??
答 :” 石鹸 (せっけん) ” 。
「ポルトガル語」の「Sabão(サバォ)」が語源、というのが ” 有力 “ です!!
( “諸説”あり。)
‥で終わってしまうと、テレビ放送におけるマスゴミどもの姿勢、
「この”キラーワード“を掲げとけば、あれこれ全てオッケーだべ??」
というレベルに成り下がってしまうので、” 有力 ”以外の ” その他の説 “を調べてみると‥‥。
「スペイン語」の「jabón 」
「フランス語」の「savon」
が語源なのだとか‥‥? (ー’`ー;)‥ムゥ‥
(実際に調べてみた結果‥個人的には 「日本の歴史からしてもやっぱり「ポルトガル語」の「Sabão(サバォ)」が ” 最有力 “でしょ‥」というのが着地点‥。
結局は無駄な作業であったものの、こうした考え方・行動、しっかりと「メディアリテラシー」なるものを身につけるためには ” 最重要 “なものです!! <(`^´)>)
脱線‥‥とにかく‥ま‥「しゃぼん」は” 石鹸 (せっけん) ”が正解です。
童謡・「しゃぼん玉」は「娘さんの死」を悼んだ歌‥?
1908年 (明治41年)、野口雨情は長女の「みどり」ちゃんを生後、7日目に亡くしています。
その後も何人かの子供を授かっているものの、1924年 (大正13年) 、次女の「恒子」ちゃんも亡くしています。享年、2歳。
これらの事実から「しゃぼん玉」は、あまりにも幼くして亡くした「自らの娘たちへの 鎮魂歌??」と<ウワサ>されているわけです。
ホントにそうなの‥?
私、昭和時代の生まれ。
幼き子供の頃に聞いた “衝撃的な話”を一つ‥。
「お母さんがお乳あげてる時に寝ちゃって、おっぱいで赤ちゃんの顔をふさいじゃってねー(笑)」
‥そうです‥赤ちゃんが死んでしまったという話‥。
正確には<死んでしまった>わけではなく<殺してしまった>という “過失致死” にあたる事件ながらも‥当時はなんらのお咎めもなかったようで‥ 。
こんなエグい話なのに‥笑いを交えて語というその口調の軽さときたら‥もう‥。
昭和時代であってもこの実情、野口雨情が生きた時代はその前、明治・大正時代です。今一度振り返ってみると‥
1908年 (明治41年)、長女の「みどり」ちゃんを生後7日目に亡くす。
1924年 (大正13年) 、次女の「恒子」ちゃんも2歳で亡くす。
1923年(大正12年)、童謡として「しゃぼん玉」を発表。
いかがでしょう ??
童謡・「しゃぼん玉」の発表は、
長女「みどり」ちゃんを亡くし、すでに15年の時を経てからのこと 。
もちろん、
(ずいぶん昔のことながら )過去の悲しい出来事に思いをはせて‥。
とも考えられるものの‥‥。(ー”ー ;)ムゥ‥
では、次女「恒子」ちゃんを亡くしたことによって、「しゃぼん玉」が‥??
否。
次女「恒子」ちゃんを亡くしたのは、「しゃぼん玉」発表の後ですから。
だったら、何なんだ‥??
その答えは明治・大正時代という時代背景から見えてきます。
「口減らし」も陰ながら密かに行われていた時代‥‥。
(類似過去記事 : 「とおりゃんせ」はめちゃくちゃ恐かった‥。神隠しの唄?間引き??子殺し???)
夭折した「自らの娘たちへ」ではなく‥
幼くして逝ってしまった娘‥長女「みどり」ちゃんの死の体験‥。
のみならず、当時の情勢、身の周りでもバタバタと死んでいく子供たち‥。
(関連記事 : 「赤い靴」)
このような現状を悼み、
< 幼くして亡くなったすべての子供たち >への鎮魂歌
として作られたのが「しゃぼん玉」です。
「赤い靴」について
赤い靴 はいてた女の子 異人さんに連れられて行っちゃった
横浜の 波止場から 船に乗って 異人さんに連れられて行っちゃった
今では 青い目に なっちゃって 異人さんのお国に居るんだろ
赤い靴 見るたび 考える 異人さんに会うたび考える
生まれた 日本が 恋しくば 青い海眺めているんだろう
異人さんにたのんで 帰って来
舞台は港・横浜‥。異人さん = 外国人‥。連れられて行っちゃった‥?
「外国人による 日本人少女の“誘拐事件 ” ‥? ” 人身売買 “‥??」
このように感じたヒト、いませんか‥?
実在のモデルがいた!!
“赤い靴の女の子”は架空の人物ではありません。
実際にこの世に生まれ、確かに生きていた女の子です。
その生涯は短かったものの‥。
この“赤い靴の女の子”のモデルの名前、「岩崎きみ」ちゃん、です。
明治35年7月15日、静岡県不二見村(現・静岡市清水区宮加三) 生まれ。
母親は「岩崎かよ」さん。
娘を産んだ当時の年齢は18歳。
すでに両親は亡くなっていて身内もなく、父親が誰なのか分からない未婚の母の私生児として生まれたのが「岩崎きみ」ちゃんです。
このような複雑な状況‥時代もあって当然ながら、ふしだらな女だと世間の風当たりは厳しく‥。娘ともども北海道開拓団として函館へと向かいます。
新天地・函館で「鈴木志郎」という男性と出会い、ともに留寿都村(るすつむら)への入植を決意するものの‥。
時は明治時代‥北海道開拓は命がけであり、幼い子供を連れて‥などとは到底考えられないこと‥。
当時の「岩崎きみ」ちゃんは、3歳。
そこで、函館の教会で布教活動をしていたアメリカ人宣教師の「ヒュエット夫妻」が養女を探していることを知り、娘を2人に託すことに‥。
「岩崎きみ」ちゃん、4歳の出来事。
しかしながら、この里親となった宣教師「ヒュエット夫妻」に帰国命令が下り、本国・アメリカへと呼び戻されることになります。
このような状況下で「岩崎きみ」ちゃん‥。
当時 不治の病とされていた結核に罹ってしまいます‥。
アメリカへの長い船旅などできるはずもなく‥。
やむを得ず、「ヒュエット夫妻」は東京・麻布十番にあった鳥居坂教会の孤児院(永坂孤女院)に「岩崎きみ」ちゃんを預けることに‥。
そして‥3年間の結核という病との戦いの末‥明治44年9月15日の夜‥永眠‥。
「岩崎きみ」ちゃん、享年9才‥。
「赤い靴」 はいてた女の子、「岩崎きみ」ちゃん‥。
異人さんに連れられて、アメリカには行けませんでした‥。
現在も「岩崎きみ」ちゃんは、 東京都港区南青山、青山霊園の鳥居坂教会の共同墓地に眠っています。
1989年(平成元年)、東京都港区麻布十番に「きみちゃん像」が建てられました。
野口雨情との関係は?
娘を「ヒュエット夫妻」に預けた母親の「岩崎かよ」さんのその後について‥。
結局のところ、北海道への入植に失敗。
函館で知り合った男性「鈴木志郎」は札幌に移り住み、新聞社に入社。
そこで知り合った同僚の一人が、野口雨情でした。
同世代・同じ家族構成ということもあって急速に親しくなった両家族は、1軒の家を2家族で借りるという共同生活をはじめるまでにもなり、上記の経緯を母親の「岩崎かよ」さんから知らされます。
その後「岩崎かよ」さんは「ヒュエット夫妻」の行方を捜したものの、2人はすでにアメリカに帰国したということでした。
「異人さんに連れられてアメリカに行った私の娘‥「きみ」‥。
きっと今頃は、異人さんのお国で幸せに暮らしていると思う‥」
この “母の思い“をもとに生まれたのが、「赤い靴」です。
ちなみに‥「岩崎きみ」ちゃんが亡くなったのは、1911年(明治44年)。
「赤い靴」が発表されたのは、1921年(大正10年)。
野口雨情が「きみ」ちゃんの死を知らなかったのは明らか。
もちろん、母「かよ」さんも知りません‥。
あくまでも、娘「きみ」は異国で幸せに暮らしていると思っているのですから‥。
そして‥昭和23年‥。「きみちゃん、ごめんね」という言葉を残し、他界‥。
享年64歳‥。
——————————————–
以上‥です。
であるからこそ「赤い靴」‥その強烈な “哀愁”を漂わせているわけです‥。
「七つの子」について
カラス なぜ鳴くの カラスは山に
可愛い七つの 子があるからよ可愛 可愛と カラスは鳴くの
可愛 可愛と 鳴くんだよ山の古巣へ 行って見て御覧
丸い目をした いい子だよ
「<七歳 >のカラス」?「< 七羽 >のカラス」??
「七つの子」を<画像>でググってみたところ、やはり「< 七羽 >の子」という解釈からのものばかりでした。
あれ ? 「七つ」なんだから「< 七歳 >の子」じゃないの ??
と思ったヒト、いませんか‥??
ということで、以下、あれこれ解き明かしていきたいと思います。
「アナタはどっち派 ??」を明確にした上でお読みください。<(_ _)>
「七つの子」=「< 七歳 >のカラス」説
「七つの子」の「ななつ」、これは<年齢>を数えるときの「ひとつ」「ふたつ」‥で使われるものなので、正解は当然、「< 七歳 >のカラス」である、というものです。
がここに、「七つの子」=「< 七羽 >のカラス」説のヒトから反論が入ります。
野生下におけるカラスの平均寿命について。
・「カラスの平均寿命は、5~7年」
・「カラスの寿命は、計算上14年~15年」
・「カラスは100歳まで生きる」
というように様々あるようなので、公平な判断基準として「環境省の資料」から、
「カラスの平均寿命は10~20年程度」とします。
これをもととして「<七羽>のカラス」説側の主張をまとめると、
・<10~20年程度の平均寿命>での“七歳”を子供とするのは明らかにおかしい。
・そもそも、カラスの産卵~巣立ちまでの期間って、ほんの数ヶ月なんだけど ??
・仮に、ニンゲンの平均寿命に置き換えて考えてみると‥。その子供ってのはいったい何歳なの‥??
となります。
「七つの子」=「< 七羽 >のカラス」説
「七つの子」の「ななつ」、これは<数>を数えるときの「ひとつ」「ふたつ」‥で使われるものだから、正解は当然「< 七羽 >のカラス」である、というもの。
これに、「七つの子」=「< 七歳 >のカラス」説のヒトから反論が。
通常カラスが産むタマゴの数について。
カラスはふつう3個~5個くらいのタマゴしか産まないし、しかも自然環境下においてその全てが無事にふ化することはまず無いことなので、「七つ」を” 七羽 ”などと解釈するのは明らかにおかしい、と主張します。
また、もし” 七羽 “であるならば、イキモノを「ひとつ」「ふたつ」と数えるか ?
とか、それなら複数形で<七つの子たち>じゃなきゃダメでしょ!! というような、もはや いちゃもんレベルのものまで‥。
「七つの子」=「七五三」説???
実はカラスがどうのではなく、ニンゲンの「< 七歳 >の子」を歌ったものであり、「七五三」の風習をもとに書かれたものでは‥ ??という主張。
「七五三」は1681年12月24日(天和元年11月15日)に徳川徳松 (江戸幕府第5代将軍・徳川綱吉の長男) の健康を祈って始まったとされる風習ですが、ここに「七つまでは神の内」という考え方が登場します。
以下、関連過去記事 、「とおりゃんせ」はめちゃくちゃ恐かった‥。神隠しの唄?間引き??子殺し???からの引用、
「この子の七つの お祝いに」とは?
なぜ「七つ」なんでしょう?
昔は「七つまでは神のうち」という「7歳までの子供は神様の子」との考えがあり、「この世」と「あの世」のうちで、どちらかといえば「あの世」の方に属しているものとされてきました。
この考えは2つの側面をもっていて、1つには当時は乳幼児の死亡率が非常に高かったことで、もしも子供を幼くして亡くしたとしても「神様に愛された子だった」「神様からの預かりものだから」という慰めとあきらめの意味をもつとするもの。
もう1つが、7歳までならいつでも神様にお返しすることができる、つまり「間引き」=「子殺し」ができ、それは人殺しなどではなくただ神様に子供をお返ししただけということを意味しているとするものです。
「しゃぼん玉」で詳しく触れたように、野口雨情は長女を生後7日目に亡くしており、次女も2歳で亡くしています。
また、「赤い靴」においても9歳で夭逝した女の子「岩崎きみ」ちゃんが登場します。
“七歳”までさえも‥生きられなかった娘たち‥。
周りにおいても、幼くしてバタバタと死んでいく子供たち‥。
この虚しい「親としての想い」を詩に表したのが、「七つの子」です !!
よって「七つの子」、実際のカラスの子供の“七歳”だろ!? ” “七羽” だよ!?などという議論はもはや陳腐‥どーでもイイ!!
というのが結論です。<(`^´)>
<P.S.> 「七つの子」 その他の説
今回の記事を書くにあたって色々調べていたところ、以下のような内容を掲載しているサイトがありました。
カラスは古来より、【煩くカアカアと鳴いて、死肉を漁る、真っ黒な不吉な鳥】として嫌われて来ました。そこを詩人が、「カラスをただ忌み嫌ってはいけない。カラスが煩く鳴くのは、山の巣にお腹を空かした沢山のヒナ鳥がいて、餌を待っている。可愛い子にご馳走をあげたい、可愛い子に餌をちょうだいといって、やさしい母さんカラスが鳴く場合だってあるんだよ。嘘だと思ったら行って見てご覧。本当に可愛い良い子なんだから」、と詠んだのです。つまり、社会に逸れた隅のものに対する詩人の温かい目を見なければならないのです。
“カラスは古来より、【煩くカアカアと鳴いて、死肉を漁る、真っ黒な不吉な鳥】として嫌われて来ました “‥??
“社会に逸れた隅のもの”‥???
そうなの‥? ホント‥?? そのソースは‥???
ってことが気になったので、調べてみました。
「カラスが鳴くとヒトが死ぬ」?
「カラスが鳴くとヒトが死ぬ」。
よく聞くこの迷信ですが、言われはじめたのは戦国時代なのだとか。
カラスが戦場に残された死体を食べるのを見た人々が不吉に感じて‥と。
でも、これって “原因” と “結果” がまったく逆ですよね??
「カラスが鳴いたからヒトが死んだ」わけではありませんから。
—————————————————————
また、かつての死者の埋葬方法とカラスの関係から、という説もあります。
現在は<火葬>ですが、昔は<土葬>です。
<土葬>された「墓場」に供えられる<お膳>。
一汁一菜を添えたゴハンやダンゴなどの簡単な食事。
これを狙うカラス。
「墓場」にいけば<エサ>がある。
その周辺で鳴くカラス。
「墓場 」= 死人 = カラスという連想なのですが‥
これまた“原因” と “結果” がまったく逆で「カラスが鳴いたからヒトが死んだ」のではなく、さらに加えて、その<エサ>としての対象は<お膳>であって<死体>ではありません。
ここにおいて、カラスの< 第六感 >という説が‥。
第六感(だいろっかん、sixth sense)とは、基本的に、五感以外のもので五感を超えるものを指しており、理屈では説明しがたい、鋭くものごとの本質をつかむ心の働きのこと。一般にはヒトの視覚、聴覚、触覚、味覚、嗅覚の五感以外の感知能力をいう。(by Wiki)
ニンゲンでいうところの< 第六感 >は、「勘」・「予感」・「直感」・「予知」・「霊感」など、< スピリチュアル>に偏っている感が否めません‥。
が、他のイキモノにみられる< 第六感 >は、「電気」・「磁気」といった科学的にも証明しうる< 感知能力 >のことです。
「電気」の例としては、おなじみの地震予知。
地震の際、圧力を加えられた花崗岩の石英などの物質が「電気」を発生させます。
これを感じ取り異常行動をとるイキモノの代表がナマズ・ウナギ。
その他、イヌ・ネコ・ミミズ・ヘビ・トカゲ・カエルなどなど‥。
「磁気」の例では、渡り鳥。
ハクチョウ・ツル・カモなどはその体内に「磁気」センサを備え持ち、地球の磁場の流れ「地磁気」を感じ取ることによって方向を間違えることなく目的地へ到達できる、と考えられています。
ニンゲンでいう「GPS( Global Positioning System, Global Positioning Satellite )」です。
日本語では「全地球測位システム」。
ただまあこれ‥あくまでも衛星を利用しての地球上の現在位置を測定するシステムであって、我々ニンゲンが体内に持ち合わせている機能ではないので、まったく「能力」というにはあたりませんが‥。♪~( ̄ε ̄;)
その他、サケ・ミツバチなどにもこの「磁気」に対する感知能力が見られます。
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さて、本題‥。カラスの< 第六感 >とは何なのか ??
それは「生き物の寿命を予測する能力」です。
エサを求めて‥死期が迫っているヒトを感知し、その家の周りにカラスがたくさん集まり‥鳴き続けていた‥。
どうでしょう‥??
「カラスが鳴くとヒトが死ぬ」。
その“原因” と “結果”としても、かなり近づいたと思いませんか??
カラスの習性・「エサ待ち」
死肉を喰らうカラス・コンドル・ハゲタカなどの肉食のトリは、< 弱って死にかけている動物 >を見つけてターゲットとして定めると‥あえて手は出さず‥その周囲を旋回したり、うろついたり‥ついに死に絶えて自らのエサとなるまでじーっと待ち続ける‥。
エサの死を待ち‥「かぁかぁ」と鳴き声をあげ続けているカラス‥。
< 弱って死にかけている動物 > = < エサ > = < ヒト >だとすると、まさしく、
「カラスが鳴くとヒトが死ぬ」
となりますね!
よって、結論!!
戦国時代‥。カラスが戦場で‥。
“死にかけているエサであるヒト“ を見つけての「エサ待ち」の行動。
これが「カラスが鳴くとヒトが死ぬ」です!! (*^-^*)
全面的に「カラス」を擁護してみる!!
「Yahoo! 知恵袋」にて。
とある「カラス」関連への質問に対する、このような回答を見つけました。
カラスは今でも攻撃してくるし生ごみを散らかすし、人間から嫌われている存在ですが、昔の人からも嫌われていたのでしょうね。
「Yahoo! 知恵袋」にて。
とある「カラス」関連への質問にこのような回答を見つけました。
「カラス」が ” 昔の人からも嫌われていた ” ‥??
いつものことながら、なんらのソースもない適当な推測を‥。
ということで、全面的に「カラス」を擁護してみます !!
「カラス」の神話・伝承
太陽の使いや神の使いという神話や伝承が世界各地にある。元は違う色だったカラスの羽毛が、何らかの原因で真っ黒になってしまった、という伝承が世界各地にある。視力が高い、見分ける知能もあるということから「炯眼」「慧眼」とされ、神話や伝承において斥候や走駆や密偵や偵察の役目を持つ位置付けで描かれることが多い。(by wiki)
・中国
「三足烏 (さんそくう、さんぞくう)」。
中国神話に登場する「3本の足」を持っているとされる「カラス」。
太陽に住み、それを象徴とするトリ。「日烏」・「火烏」。
3本足の「カラス」の神話は、世界に及んでいて太陽と関連付けられていることが多く、
清朝においては、その太祖が「カラス」に命を救われたという逸話に基づいて「神聖な動物」とされました。
朝鮮においても三足烏 (Samjogo サムジョゴ)として。高句麗において「火烏」。
当時の古墳の壁画にも3本足の「カラス」が描かれています。
(「伝説上の三羽のトリ」。左が「竜」、右は「鳳凰」、中央が「三足烏」。最高のトリオ!!)
・イギリス
「ワタリガラス」。
アーサー王が魔法をかけられ、その姿を「ワタリガラス(大ガラス)」に変えられた、との伝承が。
よって、ワタリガラスを傷付ける行為は、アーサー王 ( = 英国王室)に対する反逆とも言われ、不吉なことを招くとされています。
・エジプト
古代エジプトでは太陽の鳥とされた。
・日本
「八咫烏 (やたがらす、やたのからす)」。
↑ TBS ドラマ「下町ロケット」にも!! 「ヤタガラス」 !!!
一般的に、「3本足のカラス」として古くから知られている「カラス」。
『古事記』において、初代天皇・神武天皇が吉野山中で道に迷ってしまったとき、天から派遣された三本足の「八腿烏」が案内役をしたとされています。
『日本神話』では、神武天皇の東征の際に遣わされ、松明を掲げて熊野国から大和国への道案内をしたとされる「カラス」です。
加えて『万葉集』に、以下の「カラス」の歌が「4首」あります。
1263番/4536首 : 「暁と 夜烏鳴けど この岡の 木末の上は いまだ静けし」
3095番/4536首 : 「朝烏 早くな鳴きそ 我が背子が 朝明の姿見れば悲しも」
3521番/4536首 : 「烏とふ 大をそ鳥のまさでにも 来まさぬ君を ころくとぞ鳴く」
3856番/4536首 : 「波羅門の 作れる小田を食む烏 瞼腫れて 幡桙に居り」
どれもこれも、地球にある生命、同等の存在・同じイキモノとしての扱いであり‥。
少なくともカラス、決して我々ニンゲンどもの「敵」ではないですよね‥ ?
ミンナ(・∀・)人(・∀・)ナカーマ !!
まとめ
いかがでしょう ??
「カラス」は昔の人から、忌み嫌われてません。
むしろ、慕われていましたね。
少なくとも戦国時代までは‥。我が国、日本においては‥。
なのに、現代社会における「カラス」の嫌われようときたら‥。
カラスは今でも攻撃してくるし生ごみを散らかすし、人間から嫌われている存在ですが、昔の人からも嫌われていたのでしょうね。
” 攻撃してくるから!!” って‥。
「子供を守るため !」でしょ‥?
” 生ごみをまき散らかすから !!” って‥。
「エサをバラまいてるニンゲンのせい !」でしょうよ‥。
ちなみに、日本サッカー協会のシンボルマーク、日本代表チームのユニフォームにあるエンブレムも、この「八咫烏」です。
(画像参照 : 「JFAのマークの意味は?」)
国防の戦闘集団、陸上自衛隊の「中央情報隊」のシンボルマークも「八咫烏」です。
私が個人的に知っている「ことわざ・慣用句・言い回し」等に出てくる「カラス」は、
くらいかなぁ‥。
とにかくみなさん、「カラス」、意味なく嫌わないで~‥と思います‥。(^~^;)
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