例えばパソコン教室。基本聞こえるのはキーを打つ音くらい。
下手をすればささやき声でも教室の全員に聞こえかねない静かな状況。
なのに、けたたましくギャンギャン大声でしゃべる人‥。
苦手だ‥。
どこはかとない威圧感も含め、はっきりいうと嫌い。大嫌い。
いったいどういうつもりなんだろう‥?
同じ思いを持っている人、いませんか‥?
そもそも地声の大きさを自覚しているのか?
これについて調べてみると、ちゃんと自覚していて“悩み”として抱えている人もいるようです。
「普通に喋ってるつもりなのに、いつも声が大きいと言われて恥ずかしい」
「小さい声で喋っていても、いつの間にかいつもの音量に戻っているのに気付く」
「話に夢中になると、加えてなおさら、声が大きくなったりする」
等々。
これまでの経験上、状況に全くふさわくない地声の大声という”騒音”で平気で話せる(話しているように見える)人のタイプを分類してみると、以下のように分けられるように思います。
無神経・自己制御能力の欠如・機能障害・国民性。
無神経
単なる無神経‥。
周りが全く見えておらず、というか、見ることさえせず、常に己オンリー‥。
個人的にもっとも忌み嫌っている人種です‥。
一般社会に出てくるなよ‥? とさえまでも思うヤツらです‥。
自己制御能力の欠如
上記、ちゃんと自覚していて“悩み”として抱えている人というのがこれにあたるように思います。
これについては大声に限らず、公共の場におけるすべての喜怒哀楽の表現なんかにおいても共通して言えますね。
たまたま、ついついということは(私を含めて)あるにせよ、己(のみ)がどんだけ盛り上がる場面に出くわしたにせよ、まずはグッとこらえて、周りの状況を判断してからくらいの自己制御能力は身につけましょうよ?
大人なんだから。
子供じゃないんだから。
「どうすればいいでしょう?」とか甘えてちゃダメでしょ。
機能障害
耳が悪い、難聴の人のことです。
「だからいいでしょ?」じゃなくて。
ちゃんと医者にかかりましょうよ?
他人に迷惑掛けてる可能性を持ってるのに放置で平気なんですか?
国民性
経験上、誤解を恐れずに言えば、中国人は基本やかましいです。
で、私、日本人として、日本で暮らす以上、ということでその旨指摘したところ、結果としてはどこ吹く風‥・orz..
「というか、オマエら、このやかましすぎる状況、不愉快に感じないのか‥?」
それをも確認したところ、実は、実際の感覚としては我々と同じで、
「うるさい」「やかましい」「うっとーしー」「ウザい」
だそうです。
人間としての感覚としては、同じなんですね?
なら、何で自制しないのか‥? 何でお互いにも指摘し合わないのか‥?
自国の中国で、というならともかく、ココは日本だ‥。
(あれこれ考察したいことはあることはあるものの、ざっくり言うと)石原慎太郎、元東京都知事のいうところの、支那の民度とやらに結論づけられるのかもね??
どこの誰かも知れない地声の大きい一個人さん。
一般社会に参加するつもりならば、実際に参加しているならば、場の空気を読むことは必然となります。
それが出来なければ、やはり私のようなヤツからの攻撃の対象とはなってしまいます‥。
一個人さんの個人的な事情や感情なんか、一切関係ない。
ミクロよりもマクロが優先。
世の中というのはそういうもの。
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