トリアージって何?? &「トリアージタッグ(タグ)」の根本的問題点

今や医療に関する映画やドラマ、特に災害現場救急救命を取り扱ったものであれば必ずと言ってイイほど出てくる「トリアージ」というキーワード。

皆さんもどこかで、一度は耳にしたことがあるのでは??

結論から言うと、「トリアージ」とは、「医師が患者の重症度に基づいて、治療の優先度を決定し「選別」を行うこと」です。

語源は「選別」を意味するフランス語の「トゥリヤージュ = triage [tʁijaʒ] 」

そして以下の「トリアージタッグ(タグ)」 =「triage tag」というものも、目にした方が多いはず。

こちらが英語版、基本形。

「DECEASED」=「死去した」

「IIMMEDIATE] = 「緊急の、即刻の、差し迫った」

「DELAYED」=「後発性の、遅延性の、遅発性の 」

「MINOR」=「軽症の、重要でない」

医者のみならず、色彩からの判断に加えて英語の識字能力を持っている一般の人たちにとっても、実に分かりやすいですよね。

こちらは日本版、東京消防庁形。

何これ‥。

色彩での判断は世界基準に従っているものの、「0」「Ⅰ」「Ⅱ」「Ⅲ」のみって‥。

「生存の可能性」の多寡を表してるんでしょうね‥? たぶん。

実際には以下の通り。

黒(black tag) – カテゴリー0(無呼吸群)
死亡、または生命徴候がなく、直ちに処置を行っても明らかに救命が不可能なもの。

赤(red tag) – カテゴリーI(最優先治療群)
生命に関わる重篤な状態で一刻も早い処置をすべきもの。

黄(yellow tag) – カテゴリーII(待機的治療群)
赤ほどではないが、早期に処置をすべきもの。基本的にバイタルサインが安定しているもの。
一般に、今すぐ生命に関わる重篤な状態ではないが処置が必要であり、場合によって赤に変化する可能性があるもの。

緑(green tag) – カテゴリーIII(保留群)
歩行可能で、今すぐの処置や搬送の必要ないもの。完全に治療が不要なものも含む。
(by wiki)

人の命に関わることなのにあまりにも「無感情で無機質すぎる」のが気になるし‥医者なら分かるのかもしれないけれど‥という質素すぎる「0」「Ⅰ」「Ⅱ」「Ⅲ」のみの表記。

あまりにも「救命の心」が感じられない‥。

こんなもん、ダメでしょ‥。

ちなみに冒頭の画像は、個人的に大好きな米軍の放出品を扱っているミリタリーショップの通販サイトで売られていた「トリアージタッグ (タグ)」を手掛かりに探し出してきたものです。

この米軍採用という「トリアージタッグ (タグ)」は、色彩での判断を基準に、英語も分からない人への配慮としてイラスト(十字架・ウサギ・カメ・救急車必要なし)で表現。

これならきっと、子供にも理解できるだろうし、説明も簡単です。

さすが「人種のるつぼ」=「melting pot」(多種多様な人種・民族・文化が混在している都市、またはその生活や状態のこと)であるアメリカ。

国を守るパトリオット(patriot = 愛国者)である兵士たちの命への思い。

これこそ最高の一品、一番センスあると思うんですが‥。

いかがでしょう??

「トリアージタッグ(タグ)」の問題点

前々から思っていたこと‥。

その並び順。

分かりやすいように世界基準の「色」で説明すると、上から「黒」「赤」「黄」「緑」となっていますよね?

A :「緑」と判定された場合。

まずは、医療関係者は「トリアージタッグ(タグ)」を患者の「右手首」に装着します。
(参考 : 【必修】トリアージタッグを装着する部位で適切なのはどれか。)

この行為だけで完了です。

B :「赤」と判定された場合。

「トリアージタッグ(タグ)」「右手首」に装着した後、それ以下にある「黄」「緑」のタグを引きちぎります。


結果、どのような状態になっているか?

上記、米軍採用という「トリアージタッグ (タグ)」で作成してみると、それぞれ以下の通り。

A :「緑」と判定された場合。

B :「赤」と判定された場合。

ここまでは宜しいでしょうか?

生き延びたい人が選択する行動とは‥?

「トリアージタッグ(タグ)」は、限りある治療環境下においての「生」と「死」を医師が即座に判断して「選別」その判定による治療の優先度」を示すもの、です。

生死の狭間に立たされながら、残念なことに「緑」と判定されたことで治療が後回しとなった人びと‥。

「生き延びたい」との思い一心で‥。

医者によるこの判定を無視し、本当に緊急を要する他の人たちの命を犠牲にしてまでも‥。

「自分でタグを引きちぎってランクを「赤」引き上げることも可能」

ですよね?

現在のこのシステムでは。

「トリアージタッグ(タグ)」の順番を逆にせよ!!

視覚的に分かりやすいように、以下の画像を簡単に作成。

お分かりでしょうか?

上記、「緑」と判定された患者の場合、それ以下の「黄」「赤」「黒」はすでに引きちぎられているわけですから、治療の優先順位を自ら操作することは不可能となります。

「赤」「黄」の患者においても同様、わざわざ引きちぎって要治療のランクを引き下げる者などいないでしょう。

ここにドラマや映画における新たなテーマの可能性も感じます。

敢えて自らタグを引きちぎり‥みたいな?

どう考えてもこちらの方が理に適ったシステムだと思うのですが‥??

「トリアージ」そのものに対する問題点 (その1)

「トリアージ」は、そもそもはフランス軍の衛生隊が始めた野戦病院でのシステムです。

よって、たとえ災害時であっても民間人を対象とする救急医療には馴染まないという批判があります。


(第一次大戦にてフランス軍が設置したトリアージセンター。画像出典 : wiki)

「トリアージ」の始祖であるドミニク・ジャン・ラレィは、フランス革命(1789年)後の数々の戦争における負傷者を、その身分に関係なく、医学的必要性からの判断のみでの「選別」を始めました。

ナポレオン戦争(1796年~1815年)の時代に入って「トリアージ」は、戦線への復帰が可能な負傷兵に医療資源を投入、早期の戦力回復を図るという軍事的な必要性からの判断による「選別」へと形を変えました。

クリミア戦争(1853年~1856年)では「トリアージ」により、重傷者と判定された患者たちは満足な治療を受けることができないままに不衛生な野戦病院で次々と悲惨な死を迎えるという状況に陥ります。

ここに登場するのが白衣の天使・ナイチンゲールです。


以上、つまり、軍隊における「トリアージ」では、仮に医療関係者による優先度の判定にミスがあって患者が死亡、もしくは障害が残るようなこととなっても、基本的にその患者たちは軍人。

国から年金や恩給、名誉負傷勲章などが送られたり、差別的な扱いを受けたことによる損害等に対する賠償についても補償されています。

加えて、患者も医師も軍隊という組織の命令系統に服している構成員であるため、命の選別「トリアージ」が有効に活用されるという側面があり、また「トリアージ」を行った医師に対しても、よほどの重大なミスを起こさない限りそれら全ては軍内部での話、責任を問われることもなく、患者本人から訴えられるということもありません。

対して、災害時における民間人への救急医療としての「トリアージ」
上記のような医師の判定に対する責任問題やその後に予想される諸々の問題についての具体的な法制度や救済システムは今尚、構築されていません。

「トリアージ」によって本来の救命のプロセスが省略されることで、いくらその場における最善を尽くした救急治療を行ったにせよ、後々法的に訴えられて罪に問われるという危険性が残されています。

「トリアージ」そのものに対する問題点 (その2)

トロッコ問題(トロリー問題 = trolley problem)というものをご存じでしょうか?

トロッコ問題とは、「ある人を助けるために他の人を犠牲にするのは許されるか?」という倫理学の思考実験のこと、です。


(画像出典 : wiki)

・線路を走っていたトロッコが制御不能となった。

・このままではその進行方向にいる5人は轢き殺されてしまう。

・あなたは線路の分岐器(ポイント切替え器)のすぐ側にいる。

・あなたがトロッコの進路を切り替えれば5人は確実に助かる。

・しかしその切り替えた先にも1人おり、5人の代わりにこの者が轢かれて確実に死ぬ。

あなたはポイント切り替えてトロッコを別路線に引き込きますか?

客観と主観をすり替えたりしていますが、大まかに言うとこんな感じです。

要するに「5人を助ける為に他の1人を殺してもよいと思うか?」という問いかけです。

ことわざで言うところの「小の虫を殺して大の虫を助ける」(小さなものを犠牲にして大きなものを生かすこと。また、全体を生かすために一部を切り捨てることのたとえ)です。

「トリアージ」もこの究極の選択から考えるに同様で、医療の「全ての患者を救う」という原則からは大きく逸脱した例外中の例外のシステムです。

はたして、医師に対して患者への生殺与奪(せいさつよだつ)の権利、生かすも殺すも、与えるも奪うも自身が思うまま、こんな神のごとくの権利を与えてイイのか?という問題。

加えて、大地震や航空機事故、テロなどによって大人数の負傷者が発生した場合、医療側の受け入れ能力が足りないことが完全に確認された上であるならばともかく、安易に「災害医療 = トリアージ」となってしまっては、「トリアージ」=「見殺し」ともなりかねないという問題。

難しいですね‥。


最期に、前述の

あなたはポイント切り替えてトロッコを別路線に引き込きますか?

“回答”は以下の通りです。

功利主義に基づけば、1人を犠牲にして5人を助けるべき。

義務論からは、他の目的のために誰かを利用すべきではないので、何もするべきではない。

いずれにせよ、これらのジレンマ(ある問題に対して2 つの選択肢が存在し、そのどちらを選んでも何らかの不利益があり、態度を決めかねる状態) を一貫して合理的に解決できる倫理学の指針はない、というのが “解答” です。


功利主義‥行為や制度の社会的な望ましさは、その結果として生じる効用(功利、有用性、英: utility)によって決定されるとする、ジェレミ・ベンサム(イギリスの哲学者・経済学者・法学者)によって体系化された考え方のこと。

「最大多数の最大幸福」

義務論・・プロイセン王国(ドイツ)の哲学者・倫理学者であるイマヌエル・カントが唱えた道徳論。

「汝の信条が普遍的法則となることを、その信条を通して汝が同時に意欲できる、という信条に従ってのみ行為せよ」

「あなたの意志の格率(自分の持つ行為規則)が常に同時に普遍的な立法の原理として妥当しうるように行為せよ」

「~ならば、~せよ」という仮言命法に対して、無条件に「~せよ」と命じる定言命法‥。

これまた異様に難しい‥。

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