「私って‥何で生きてるの‥??」
「生きていること」に対して感じている、
虚無感、無常感、不信感、失望感、喪失感、徒労感、絶望感、無力感、脱力感、虚脱感、疎外感、孤立感、孤独感、寂寥感、違和感、嫌悪感、罪悪感、圧迫感、重圧感、威圧感、閉塞感、不安感、恐怖感‥などなど。(他にもあるかな?)
日常生活、アナタもあれこれ、息苦しいですか‥??
なんやかんやと、毎日、生きづらいですか‥‥???
「自殺願望」と「希死念慮」
「自殺願望」。
「自殺」=「自らを殺すこと」、「願望」=「 願い望むこと」。
「希死念慮」(きしねんりょ:Suicidal Ideation /sùːəsáidl ɑɪdiéɪʃən/)。
「希死」=「死を「希望」すること」、「念慮」=「あれこれと思いめぐらすこと」。
(「自殺念慮」とも 。後述。)
「願望」と「希望」の違い
「願望」は「あれをこうしたい」という具体的な強い願い。
「希望」は「こうあったらなぁ」という期待を抱く心。
よって、「“究極の逃避”である<死>への“ヤバさ”」でいうと、当然ながら、
「自殺願望」 > 「希死念慮」
です。
「希死念慮」について掘り下げてみる
この「希死念慮」という言葉、ご存じでしたか??
「希死念慮」というのは、前述の通り、
漠然とながらも「死を希望する」こと
です。
しかしながら、その強弱の程度においては幅が広く、例えば、
「生きててもしょうがない」
「このまま永遠に眠り続けたい」
「この世から消え失せてしまいたい」
「死んじゃえば楽になれるだろう」
「死にたい」
などの「なんとなくの<死>」という「軽い」感じから、
「ここから落っこちたら死ねるかも」
「事故にでも遭って死んでしまいたいね」
「いっそのこと誰か殺してくれないかな」
などの「より具体的な<死>」という「重い」感じまであります。
「消極的希死念慮」と「積極的希死念慮」
「希死念慮」は「ハミルトンうつ病評価尺度」から、「消極的」と「積極的」に分けられます。
●「消極的希死念慮」(=「希死念慮」)
上記、「なんとなくの<死>」のイメージを抱く「軽い」感覚のもの。
●「積極的希死念慮」(=「自殺念慮」)
上記の、「より具体的な<死>」のイメージを抱く「重い」感覚のもの。
現時点においての結論。
「“究極の逃避”である<死>への“ヤバさ”」でいうと、
「積極的希死念慮」 > 「消極的希死念慮」
となります。
ここまでを整理しておくと、
「自殺願望」>「積極的希死念慮」 > 「消極的希死念慮」
です。
「自殺願望」
実際に「己の手によって自らの人生を終わらせたい」と願うこと。
こんな記事を読んでいるヒトたちでしたら、あれこれと書かずとも、一般常識としても、既にきっとご存じのことでしょうから、特に触れませんw
ラスボス出現‥「自殺企図」
自殺企図(じさつきと)
自殺をくわだてること。自殺しようとすること。自殺をくわだてつつ実際の行為まで至らない場合は自殺念慮(希死念慮)と呼ばれる。
(参照 : Weblio辞書)
「企図」。
企(くわだ)てて、図(はか)る。
「目的・目標の実現に向けての、あれこれの工夫・計画・目論見のこと」です。
要するに、上記の「積極的希死念慮」からの発展で「自殺願望」を経ての
「何月何日、こういう手段で、こういうモノを用意して‥‥」
のように、更なる具体性をもって「自殺の方法」を考えることです。
「自殺企図」と「未遂(みすい)」・「完遂(かんすい)」
「自殺企図」にまで進むとホントに「自殺行動」に出るリスクが高まります。
で、その結果、
「自殺未遂」‥実際に「自殺行動」に出たが、「死」に至らず、「失敗した」
「自殺完遂」‥実際に「自殺行動」に出て、「死」に至り、「成功した」
です。
具体例として「飛び降り自殺」で説明しておきます。
「積極的希死念慮」‥「ここから飛び降りて死にたいな‥」
「自殺企図」‥「あれこれ障壁が多すぎ‥これをクリアするには‥」
「自殺未遂」‥「失敗しちゃった‥w」
「自殺完遂」‥「大成功!!」(??)
まとめ : 自殺志願者による「自殺行動」の見極め
「自殺志願者」の「自殺行動」への、その「ヤバさ」の見極めについての表。
「ヤバさ」 (軽→重) | 「死にたい」感 | |
消極的希死念慮 | 「なんとなくの<死>」のイメージを抱く | |
積極的希死念慮(自殺念慮) | 「より具体的な<死>」のイメージを抱く | |
自殺願望 | 「実際に自らの手による死」を願う | |
自殺企図 | 「実際に自殺の方法」を考える | |
結果 | 自殺未遂 | 「自殺行動」に出たが「死」に至らず、「失敗」 |
自殺完遂 | 「自殺行動」に出て「死」に至り、「成功」 |
今現在、アナタはどこにいますか??
自殺は悪いことなんだろうか?
アナタは今なぜ「死にたい」と思ってるんですか?
「死ねば楽になる」
ってのが理由ですか?
世間一般、ありきたりのw
でもそれって実は、受け続けている日々の苦痛、絶望感の果てに頭が狂っちゃって、単に楽して「究極の逃げ」である「死」を選択してるだけですよ??
もしもアナタが、
「この世でやりたいことも、すべきことも全部済ませた」
「充分に幸せだった」
「心からこの人生に満足している」
「生まれ変わっても同じ人生を選びたい」
「なので、そろそろ、死にたい」
というほどの【超ポジティブで前向きな「死」】を願っているのだとすれば、もはや「それでも生きろ!」などという軽々しい言葉は誰にも吐けないでしょう。
個人的に、ここまでの「悟りの境地」に至ったのならば「己の人生、自らの手をもって幕を閉じる」という選択も大いに有りだと思うし。
「生きる」ってのと「生きながらえる」は全然違うもんね。
そもそもニンゲンなんて、どうせ「独りぼっちで生まれてきて、独りぼっちで死んでいく」だけの「孤独な存在」なんだから、ということを大前提として。
で?? アナタはどうなの??
そのアナタの今の「自殺したい」という思い・願い、上記の「超ポジティブで前向きな死」なんでしょうか??
それとも、アナタが「正解」としている「自殺の理由」ってのは全くの別物とか??
それって、あくまでも「狂った頭」がはじき出したものではない「正常な判断」としての「死」の選択だと言い切れますか???
(なにそれ‥?? σ(´、丶) ?? ちょっと教えて‥??? 死ぬ前に)
とりま、単に「究極の逃げ」としての「死」じゃないってことだけは、おk ???
というような質問に対して、少しでも疑問符がついたアナタ。
その「死」は「不純」ですw
やっぱりそれは「究極の逃げ」ww
なぜなら、本来の目的は、
<苦難に満ちあふれた現実社会からの脱出>
でしょ??
なのに、単に数ある「逃げ」の方法の選択肢の中の一つ、一番楽で簡単な「死」。
これを安直に選んでるってだけの話でしょw そんなモンww
‥‥‥。
ってまあ‥。
その「死」の選択‥。
アナタの「狂った頭」による判断結果に過ぎず‥。
ホントのアナタには罪はないというかなんというか‥。
視野狭窄(しやきょうさく)
「見えている範囲が狭くなっていく状態のこと」です。
(画像出典 : 横須賀中央眼科)
目の病気。
実際の病名では「網膜色素変性」「緑内障」「網膜剝離」あたり。
徐々に視野が冒され、どんどんと見える範囲が狭まり、ついにはある一点しかみえなくなってきて‥。
「狂った頭」のせいで、これまで見えていたはずのいくつもの選択肢がドンドン消失、最終的に残ったのが「死」。
と考えるに、「自殺願望」ってのも「治療」は可能だわな、たぶん。
「病気」なんだから。
でもまあ、「自殺希望者」本人が自ら積極的に動いて「治療」なんて流れ、まずありえないからなぁ?? ww
となると、やっぱり周りのヒトたちの協力が必要となってくるわけで。
もしもアナタが死んだ時、
必ず泣かせてしまうヒト。
たぶん泣いてくれるだろうヒト。
もしかして泣いてくれるかも?というくらいのヒト。
アナタの周りにも、ひとりくらい、いませんか??
これらのヒトたちに試しにいっぺん「ホントの自分」ってのを晒(さら)してみません??
人生最期の思い出ってことでw
どうせ死ぬんでしょ?
だったら少々の面倒とか、その結果を想像したりとか、どーでもイイじゃんw
もしかしたらさ、ドンと背中を押してくれるかもしれないよ??ww
ん‥?? 周りにそんなヒトはいない‥‥???
ひとりも??? ホントに???
ならもーイイわw 好きにすれば??w
ただ、「腐敗」「回収」等々、アナタの「自殺」の結果生まれるモノ(ただの物体)=「遺体」ってのは、何かとあれこれ「他人に迷惑を掛ける」ことになるってことだけはお忘れなく、ね。
ちゅーか、ま‥実際ホント、他人のことなんか知ったこっちゃねーw ┐(‘~`;)┌ヤレヤレ
(あ、だったらさ、「今だけ楽しければイイや」っていう「刹那主義」ってのもありかもよ?? w
参考過去記事 : 「刹那主義・虚無主義・無政府主義‥自己否定の極み」)
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