先日のこと。
職場に貼られていた「Jアラート(全国瞬時警報システム)」のポスターを見ていて、ふと頭に浮かんだキーワード、
「トリニティ・サイト(Trinity Site)」。
コレって‥なんだっけ‥??
フィラデルフィア実験‥??
いや、たしか原爆関連だったような‥。σ(´、丶) ??
帰宅後、さっそく調べてみたら、やっぱりそうでした。
1945年7月16日、米国ニューメキシコ州アルバカーキ南東の砂漠にある人類史上初の核爆発の実験が行われた場所。
その実験のコードネームが「Trinity」で、敷地・用地ってことで「Site」。
「トリニティ実験」 (Trinity Test)は、爆縮型プルトニウム原子爆弾の爆発の実験。
1945年(昭和20年)8月9日、午前11時02分、同型の原子爆弾「ファットマン」(Fat Man =太った人間)が我が国ニッポン、長崎県長崎市に投下されました‥。
「ナガサキ」に投下された「ファットマン」のキノコ雲の画像‥。
「ファットマン」(正式名称は「Mk.3」(マーク3)のモックアップ(原寸大の模型)の画像。
直径 ‥ 60インチ (1.524メートル)
全長 ‥ 128インチ(3.2512メートル)
重量 ‥ 10,300ポンド(4.672トン)
ちなみに、1945年(昭和20年)8月6日、午前8時15分、「ヒロシマ」に投下された「リトルボーイ」は「ウラニウム活性実弾」、つまりプルトニウムと同じ放射性物質であるウランが用いられています。
直径 ‥ 0.75メートル
全長 ‥ 3.12メートル
重量 ‥ 約5トン
「ヒロシマ」に投下された「リトルボーイ」によるキノコ雲の画像‥。
とりあえず‥一応はスッキリはしたものの‥。
それにしても‥しかしまあ‥とあらためて思った。
よくもまあこんなもんを「鬼畜米英」どもは、「ヒロシマ」・「ナガサキ」という市街地に落とせたもんだな、と‥。
「狂気」そのものでしょ‥こんなの‥。
「殺す者は殺される。」
なので、局地的な戦場における帝国日本軍軍人たちの拠点目掛けて投下、ということならば、まあおk‥というか、分からないでもないんだけど、街中に落っことすって‥。
コレってターゲットは、明らかに女子供を含めた「民間人」じゃん‥。
“一般市民”に対しての“虐殺兵器使用”だよ‥??
ありえないでしょ、フツー‥。
当時のアメリカによるニッポン全土への「空襲」にしても、ドイツのイギリスに対する「ザ・ブリッツ(The Blitz =ロンドン大空襲)」、V1飛行爆弾やV2ロケットによる「民間人」への攻撃って‥。
まあ「心」には一番響くんだけどね‥。
こういう間接的ながらも決定的である攻撃の方が‥。
でもまあホント、スゴいことするよな‥‥。
コワいな、ニンゲンって‥。
マンハッタン計画
「マンハッタン計画(Manhattan Project)」とは、
第二次世界大戦中、ナチス・ドイツなどの一部枢軸国の原子爆弾開発に焦ったアメリカ、イギリス、カナダが原子爆弾開発・製造のために、科学者、技術者を総動員した計画である。計画は成功し、原子爆弾が製造され、1945年7月16日世界で初めて原爆実験を実施した。さらに、広島に同年8月6日・長崎に8月9日に投下、合計数十万人が犠牲になり、また戦争後の冷戦構造を生み出すきっかけともなった。
(by wiki)
あらためまして。
「殺す者は殺される」。
これはまあ、良いでしょう。
でも、「合計数十万人が犠牲になり」って、ね?
この犠牲者ってのは基本、「軍人」ではなくて「民間人」、あくまでも“一般市民”ですからね??
核兵器を作り出した「原爆の父」・ロバート・オッペンハイマー
ジュリアス・ロバート・オッペンハイマー(Julius Robert Oppenheimer 1904年4月22日~1967年2月18日)は、ユダヤ系アメリカ人の物理学者。
1930年代末、元々宇宙物理学で、中性子星やブラックホールなんかの研究を行っていたヒト。
上記、原子爆弾開発を目指した「マンハッタン計画」が開始され、1943年、「原子爆弾の開発を目的として創設されたアメリカの国立研究機関」である「ロスアラモス国立研究所」の初代所長に任命される。
原爆の製造研究チームを主導して世界初の原爆を開発。
1945年7月16日のニューメキシコ州においての「トリニティ実験」の後、当時の「大日本帝国」の「ヒロシマ」・「ナガサキ」に「原爆投下」がなされることとなった‥。
(実験の数週間後、実験塔の跡地に立つオッペンハイマー(中央、帽子を被っている人物)
「原爆」とアインシュタイン
「原子爆弾は、アインシュタインが開発した」
と、思っている人がいるそうです。
ウソでしょw‥ホントにそうなの‥?ww
結論から言いますと、アインシュタインは「マンハッタン計画」には関与してないし、この計画が始まったことさえ知らされてもいませんでした。
なにより、アインシュタインは大の 親日家 ですから‥。
アインシュタイン、来日。
そもそもは1912年(明治45年/大正元年)、アインシュタインを1911年(明治44年)に新設された東北帝国大学理科大学の教授として招聘(しょうへい=「礼を尽くして人を招くこと。」を目論んだものの実現はせず。
1922年(大正11年)、当時「世界の有名人」であったバートランド・ラッセル やマーガレット・サンガーを招致した経験を持つ「改造社」創業者である山本実彦によって、アインシュタイン夫妻(妻エルザ)を日本に招待することに成功します。
(※アインシュタインは、ラフカディオ・ハーン(小泉八雲)が記した美しい日本を実際に自分の眼で確かめることと、科学の世界的連携によって国際関係を一層親善に導くことが訪日の目的だ、と語っているそうです。)
「アインシュタイン=シラードの手紙」
アインシュタインの署名入りの、米・ルーズベルト大統領に出した手紙。
ナチス・ドイツが先に核兵器を保有することを恐れた亡命ユダヤ人物理学者レオ・シラードらが、1939年、同じ亡命ユダヤ人のアインシュタインの署名を借りてルーズベルト大統領に信書を送ったことがアメリカ政府の核開発への動きをうながす最初のものとなった。この「進言」では核連鎖反応が軍事目的のために使用される可能性があることが述べられ、核によって被害を受ける可能性も示唆された。
(by wiki)
特殊相対性理論の「E = mc2」。
1905年、アインシュタインによって発表された「物体の慣性はその物体の含むエネルギーに依存するであろうか」という論文の中にあります。(by wiki)
でも、この式は「質量とエネルギーの等価性」についてのものであって、特に核分裂反応に関するものではありません。
そして、オットー・ハーンによる原子核分裂の発見は、1938年 。
30年ほども前のことなので、核分裂に関しての理論でないことは明白。
加えて、「E = mc2」=「 E(エネルギー) = m(質量 )× c(光速度) の2乗」。
この式からも決して「核分裂反応」が予想されるものでもありません。
ただ、放射性物質である「ウラン」の連鎖的な核分裂反応を利用した爆弾の作成の際、「こんな爆弾ができれば、どれくらいのエネルギーになるのか??」という計算に「E = mc2」が使われることとなってしまいました‥。
「アインシュタインは晩年この手紙に署名したことへの後悔の念を吐露した。」
(by wiki)
ま‥とにかく、地球上のあらゆる生物において、ニンゲンってのは一番、腐ってますなw
「ニンゲンなんて‥この世から居なくなればいいのに‥w」
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