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【問題提起】「”被障害者”」ならどうか?? – 「障害者」の呼び方・表記について

投稿日: カテゴリー

私には、(勝手に一方的にそう思っているだけの)「心の友」である車いす」の若い女の子がいます。

その昔、福祉関連の仕事に就いていたことがきっかけで知り合ったただ単に「脚が効かない」というだけの「フツー」の20代の女の子です。

「身体の不自由な人」にありがちな傲慢さ我が儘などは微塵もなく、”不当に「健常者」扱いされている我々“と全く同じ、普通の感覚を持っている子。

ながらも‥その他あれこれ複雑な事情を抱えていた(いる?)こともあって‥多少「心」の面において「病んでる系(メンヘラ系)」‥。

だけれど、ホントにイイ子です。

心に色んなキズを抱えている子、他人の痛みに対しても敏感だし、相手の立場に立っての配慮も半端ないし‥。

一方、身体的には(あちこちガタは来ているもののまだまだ)「まとも」な私。

ながらも、(本質的な意味において)頭は「クルクルパー」。

よって、結果としては「究極のぼっち」という現実‥。

こんな私とも話が合い、現在はもはや逆にこちらの方が精神的に支えてもらっているという事実‥。


私はどうしてもこの子ことを「障害者」とは呼べない‥。
呼びたくもないし、呼ばせたくもない‥。
(本人は全く意に介することなく、自らのことをこのように表現しますが。(後述))

いったい「障害」とは何なのか‥??

「障碍・障害・障がい」の使い分けは‥??

現状、一般社会における「障害」という言葉の取り扱い。

「ならオレの方こそがよっぽど社会的には「障害者」でしょw」

との自覚も自信もあることで、ちょっと色々調べてみました。

「障害」とは‥??

障害(しょうがい)とは、ものごとの達成や進行のさまたげとなること、また、さまたげとなるもののことである。(wiki)

「障害」が「ものごとの達成や進行のさまたげとなること・さまたげとなるもののこと」なんだから、

「障害者」とは、「ものごとの達成や進行のさまたげとなるヒトのこと」

ですね。

また、「障」とは「じゃまをする。じゃま。さしさわり。」(goo国語辞書)であり、「害」とは「邪魔をする。」(goo国語辞書)なので、

「障害者」とは、「さしさわりがあり、邪魔をするヒト

ともなります。

※さしさわり(差し障り)‥「ある物事を行うのにぐあいの悪い事情。支障。差し支え。」(goo国語辞書)


五体不満足“の(今となっては“あの”)乙武洋匡氏‏がTwitterにて、以下のようにつぶやいています。

「障がい者」と表記するメディアの方々、またそれに違和感を持たない方へ質問です。
なぜ、「害」はNGで、「障」はOKなのですか? 「障」だって、「差し障り」という
マイナス要素を含む漢字だと思うのですが…。
http://twitter.com/h_ototake/status/299497676448337920

「障碍・障害・障がい」について

「障碍」とは?

障礙(しょうげ、略字で障碍)は、仏教用語として煩悩障など心を覆い隠し悟りを妨げている要素を指して用いられたことから、邪魔するなどといった意味で使われ、明治時代にはしょうがいと読まれるようになった。(by wiki)

平安時代の末期以降「悪魔、怨霊などが邪魔すること。さわり。障害。」の意味で使用されてきた「しょうげ」が「しょうがい」と読まれるようになったのは、明治時代以降。

大正時代に「障碍」の表記が「障害」となり、当時は両方の表記が一般的に使用されていたことで、戦後、「当用漢字表」(昭和21年)や「法令用語改正例」(昭和29年等)によって「しょうがい」の表記について「碍」の字が外され「障害」採用されました。

「障害」と「障がい」の使い分け

前述のとおりの「害」の表記に不快感を持つ「障害者」がいる。

だから、マスゴミどもを含めて全国の自治体も「ひらがな表記」「障がい」とするケースが増えている、のだそうです。
(ならば「障」は? については前述の乙武さんの”つぶやき”を参照のこと)

まるで選挙での立候補者名を開いてひらがな・カタカナ表記とする一因にさも似たり?w

こんな「見た目をできるだけソフトに」という上っ面だけの対処や議論に何の意味がある??

行き着く先は「しょうがい」しかないってのも目に見えてるんだし??w

つまんね‥馬鹿馬鹿しい‥。

実に不毛で、全く無意味。

千葉市長が「障がい」「障碍」論争に一石

前も言いましたが、「障害者」とは「社会の障害」でも「身体に障害を持つ者」でも無く、「社会との関わりの中で障害に直面している者」という意味であり、私たちはその障害を一つひとつ解消していくことが求められている、と理解しています
https://twitter.com/kumagai_chiba/status/600875438454378496?ref_src=twsrc%5Etfw&ref_url=http%3A%2F%2Fwww.huffingtonpost.jp%2F2015%2F05%2F21%2Fdisability-person_n_7349070.html

その考えから、私は「障害」を「障がい」と置き換えることには反対です。
「障害」という言葉が引っかかるからこそ、それを社会的に解消しなければならないわけで、表現をソフトにすることは決してバリアフリー社会の実現に資するものではありません

これらをヒントに思いついた。

新名称・「”被障害者”」

上記からすると、「障害者」とは「社会との関わりの中で障害に直面している者」であり、「私たち(「健常者」)はその障害を一つひとつ解消していくことが求められている」わけです。

賛否両論、仮にこれを“正”とするならば、我々「健常者」は、その「障害」「身体の不自由なヒトたち」に常に与え続けている「加害者」としての存在。

「障害者」はその「被害者」。

「障害」(こうむ)っているヒト。

よって、「”被障害者”」。

「障害者」に拘ってるのは「健常者」だけという事実

実体験からすると、こんな「健常者」による「障害者」の表現についてのアレコレなんか、当事者ならびにそのご家族とっては「ドーデモイイ」というのが大半のようです。

そこで気になったのが、「先天性」「後天性」。

「先天性」とは、「生まれつき備わっていること。また、その性質。」(コトバンク)

「後天性」とは、「生まれたあとで身についたものであること。また、そのような性質・傾向。」(コトバンク)


冒頭の「先天性」「心の友」から先日の久しぶりの面会の際に聞いた話。

日常、彼女は「車いす」であることが理由で、我々のように街に溶け込むことなどはできず、いつも注目されてジロジロ見られることはもちろん、“見知らぬヒトから頻繁に「車いす」関連で色々話しかけられる”そうです。

私からすると全く考えられない、まさしく異様な状況‥。

それって‥全然プライベートの話じゃん‥。

もしも私が彼女と同じ立場にあってこんな状況に置かれたならば‥?と想像すると、

「何でどこの誰かも分からないオマエなんかにそんなことを話さなきゃいけないんだ!?」

となってしまう‥。きっと。

実際、彼女にも「もう!! ほっといて!!!」と思う場面が多々という模様‥。

なんせ、ただ単に「脚が効かない」というだけの「フツー」の20代の女の子なもんで。

でも、どうしても周りのヒトたちの手助けが必要という現実‥。

加えて、もしもそういう態度をとると他の「車いす」のヒトたちにも「車いすのヤツラの印象」として迷惑が掛かるかも‥?

とも考えてしまう‥と思う‥。

あくまでも想像上の物語に過ぎないんですが、ね。


で、「こんな問いかけを平気でしてくる無神経なヤツラ」、「先天性」であることを伝えることで、ようやく「表情が凍る」そうです。

「「後天性」だと思ってたから‥」ってことなんでしょうね、きっと。
(だからってプライベートの話に変わりないので「無神経」についての思いは揺るぎませんが)

「後天性」とは「中途障害」のことです。

病気や事故によって、ある日突然「障害者」扱いされることとなったヒトたち。

「有ったものが無くなる」。

この高低差‥きっとキツいだろうな‥と、コレも想像できる(つもり)。
(私、「人生、低空飛行」をモットーとしておりますもので‥w)

「オレなら‥もう‥」とは思うものの、「それでも生きていく」と決意された方たちは実に強い!!

やはり最初は「差別用語」絡みでの「障害者」になってしまったことで、「絶望」「不愉快」「憤り」等の感情を抱くようですが、そのうち「慣れ」てくるそうです。

超ポジティブなヒトは、その恩恵、「医療費、補装具、リフォーム費用の助成」・「所得税・住民税・自動車税等の軽減」・「公共料金の割引サービス」を満喫しているとも。

「それでも生きていく」ために‥。

英語でいうと、「障害者」は「handicapped; the disabled; the handicapped」。

「handicap」= 「ハンディキャップ、ハンディキャップ付きの競技、不利な条件、困難、不利益、身体障害」。(by Weblio )

「disable」=「手足などをきかなくする、不具にする、できなくする、(…の)能力をなくさせる、(…が)できなくさせる(by Weblio)

じつにネガティブ‥。

あくまでも「健常者」目線からの「障害者」への評価じゃん‥。

なので、「チャレンジド(Challenged)」ってのもあります。

私たちが「チャレンジド」という呼称を提唱するのは、いわゆる「障がい者」が、その文言が表すようなネガティブな存在から脱却できる社会の創造をめざしているからです。

でも、これも、「健常者」から「障害者」への「上から目線の提唱」に過ぎないよね‥?

そもそも「チャレンジ」って‥。
(私を含めて)みんながみんな「挑戦」して頑張ってるわけじゃないでしょ‥。

なんというか‥。

動物園に閉じ込められてる可哀想なドウブツたち扱い‥?

「コレを何て呼ぶ?」みたいな名付けで揉めてるような感覚‥。

こんなことでイイんでしょうかねぇ‥。


これら一切、我々「健常者」(とされている者)が受け止めればいいんじゃない?

「加害者」として。

「被害者」である「”被障害者”」のヒトたちを。

なんせ「障害」「身体の不自由なヒトたち」に毎日、毎日与え続けているんだから。

我々「健常者」、基本、何らの制約もなく、自ら思う通りに自由に行動できるんだから‥さ?

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